新着情報
沖縄占いチュチュ予定表
沖縄占いチュチュには宜野湾店とうるま店の2店舗で占いを致しております。ラッキは那覇店、レノンはうるま店で占いますが、月に1~2回店舗を入れ替えて占いを致しております。
※宜野湾占いチュチュオープンしました!
2月の店休日3日、7日、10日、11日、23日、24日
沖縄占いチュチュのご紹介
沖縄占いチュチュのホームページへようこそ。
当店は平成22年に沖縄県北谷町にあるカーニバルパークでスタートしました。
当時は占い&カウンセリング美美~chuchu~の名前でスタートしましたが、現在では沖縄占いチュチュになり、うるま店と宜野湾店の2店舗で占いをしています。
タロット占い師の恋恩(レノン)とオーラ占い師の楽氣(ラッキ)がそれぞれの占術でお客様の悩みや相談と向き合いながら占っていきます。
占いに来られたお客様に、これからも全身全霊で鑑定して、元気になってもらえるように、また、先の見えない不安を少しでも解消していただけるように、気持ちに寄り添い開運する為の占いをしてまいりますので、これからも沖縄占いチュチュをよろしくお願い致します。
沖縄占いチュチュ一同
沖縄占いメニューで悩んだら
※沖縄占いチュチュには複数のメニューがありますので、参考にしていただければと思います。このメニュー以外にもメニューがありますので、お気軽にお問合せお待ちしています。
沖縄占いチュチュで占える内容
恋愛運・仕事運・金運・健康運・オーラ・復縁・片思い・不倫・出会い・二人の未来・彼の気持ち・婚期・就職・転職・人間関係・前世・才能・性格・家相・パワーストーン・風水など様々なジャンルのご相談が可能になります。わからないことはお気軽にご連絡・ご相談くださいませ。
沖縄が占い激戦区になった理由
陰陽師が大きな力をもっていた京都や、先日ブログでも紹介した中国系の人たちが多く集まる横浜中華街。
占い激戦区になるには、時代の背景や占い師が集まる理由があると思います。
今回はなぜ沖縄が激戦区となっているか?の理由を考えてみました。
大きく分けると理由は3つ。
まずひとつめは・・・
カミンチュとユタの存在
沖縄(琉球)のユタとノロとカミンチュとは
人から聞いた知識が多かったので、実はこの存在について詳しく知りませんでした。
日本全国をみても、神事がこれほど多いのは沖縄だけなんです。・・・なぜ?と思い、経緯を調べると、意外な真実が書かれていました。
話は、沖縄が琉球王国だったころにさかのぼります。
神人(カミンチュ)=ノロ
琉球は王権政治といって、王様が王国の頑強な地盤を作るためにとった政策が神事だったのです。言い換えると神権政治をするのに必要だったのがカミンチュだったんです。
ちなみにカミンチュとノロは同一だそうです。
ノロは各村々から選出されていて王国に使われる役人だったそうで、必ずしも霊的な力があったとは限らず、娘がいれば跡を継ぐシステムだったそうです。
今でいう国会議員に当たる地位だそうです。ノロの中でも階級のようなものがあり、階級の一番上のノロが今でいう大臣のような存在のようです。
神拝みをする、旧正月から始まる季節ごとの拝みをする存在で、役人の一人。
高い地位と影響力のある発言力があった。
必ず霊力があったのではく、幅広い知識と人を見抜く洞察力を併せ持った存在が正しい認識のようです。
沖縄に根付くユタとは
ユタは国政とは関係なくその地位を築いていったようです。
沖縄では医者半分ユタ半分ということわざになる程、生活に浸透しています。
- 占い師
- 医者
- シャーマン
- 風水師
たとえるなら、これらすべての役割を合体させた存在がユタと呼ぶようです。
カミンチュにしてもユタにしても、幅広い知識と経験とアドバイスする力が必要ということです。
- 原因がわからない体調不良などの拝み
- 神事や神拝みにかかわる拝み全般
- 命名や土地、家、お墓の吉凶を見る風水師
以上の役目を担っているようです。現在も多くのユタが沖縄には存在しますが、ユタとして正式な修行をしている人は少なくなってきているようです。
ユタやノロ(カミンチュ)の流れをくんで来たことが、沖縄で占いが自然と浸透した理由の一つ目です。
沖縄と占い大国中国の交流
1429年(天正18年)、尚巴志(しょうはし)が琉球を統一して王国『琉球國』にしたと資料に残っていますが、じつはそれ以前から沖縄は中国との交流が多くあり、中国の文化を強く受けていたようです。
中国は世界的に見ても一つのことをハンパなく追及してきた国だと思います。
拳法・人体・漢方・占い・・・
どれをとってもこれほど長い時間をかけて研究し続けた国はないでしょう。
その中国と深く交流があったからこそ多くの占術の占いが入って来たのでしょう。
中国から伝わった風水も沖縄独自の琉球風水に変化していったし、占星術・気学・易・手相・四柱推命・姓名判断など、現在に残る占いの東洋占いは中国が発祥なので、その影響を沖縄が受けてきたのは自然な流れでしょう。
占いが中国との交流を経て、文化として浸透していったのが、沖縄に占いが浸透していった理由の2つ目。
沖縄の地域(県民)性
沖縄は陸路で外部とつながらない分、外部から来る部外者に閉鎖的なことが多い反面、同じウチナーンチュ同士の結束は固い地域性を持っています。
いまはその閉鎖的な傾向は弱くなったといえますが、結束の強さは健在で、その県民性が占いを根付かせる土台を作ったと言えます。
その土台とは・・・「口こみ力」です。
外の情報より、うちなーんちゅ(沖縄県民)同士の情報が伝わりやすく、実態のつかみにくい占いや占い師のうわさを広げ、文化的に受け入れやすく浸透していったでしょう。
これが沖縄に占いが浸透していった理由の3つ目。
沖縄が占い激戦区になった理由のまとめ
以上の3つの理由から、沖縄が占い激戦区になったと考えられます。
日本中さがしても沖縄ほど特殊なシチュエーションの地域はないと思います。
私もさわりほどしか沖縄の事を知りませんが、これからも大好きな沖縄のことを少しずつ知っていきたいと思います。